(詳細は、「医療判例解説2017年2月号2頁以下をご覧ください)
ここでは、誤解を恐れず、あまり難しい言葉を使わず、最新の医療判例を紹介します。
妊娠10週の女性(肥満体)が、急性肺塞栓(血栓が遊離し急激に肺血管を詰まらせる病気)、深部静脈血栓症(体の深い部分に血栓が発生する病気)で入院。血の流れが止まらないように、ヘパリンという血栓ができにくくする薬を投与。しかし、他方で、ヘパリンを使うと出血しやすくなり、妊娠中の女性に使うと流産の危険もある。この事案は究極の選択を迫られたような事案です。
結局、脳梗塞から低酸素性脳症によって脳死状態になり死亡した痛ましい事案です。
原告側はもっとヘパリンの投与量を増やせば、血管が詰まらず脳梗塞にならなかったと主張したのに対し、裁判所は、出血、流産の危険のあった本件では医師の専門的判断が要求され、著しく不当とまでは言えないとされました。
どうして著しく不当でないとだめなのか、逆に言えばある程度不当であってもいいというのは、医師のような専門家にはある程度専門的な判断が許されるからです。専門家の判断を尊重しましょうということです。
また、下大静脈フィルターという、血栓が肺動脈に入らないようにする器具を使わなかったのはおかしいと患者側は主張しましたが、これについても、医師がまだヘパリンで効果があると信じてそのまま続けたことについて専門家の判断として不当ではないとしました。
結局、請求棄却で1円も取れなかった事案です。患者さんの家族を思うと冷たい判決のように思えますが、医療過誤にはこのような専門的判断の壁があります。
別の病院の医師がコメントとして、率直に述べていますが、女性は金曜の夜に搬送され、月曜の朝に心肺停止になっていて、月曜の朝までに2-5人の異なる医師が担当することになり一貫して病態を把握できる医師がいなかったようです。その全員がベテランで知識も豊富であったわけでもない。もちろんだから病院の過失ありとは言わないわけですが、医師の専門的判断というものが何なのか(そもそもどこまで専門家なのか)、ちょっと考えさせられる事案ではあります。
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